2005年01月15日
同人とか努力とかねぎま!とか
やー、「ひぐらし」関係がなにやら面倒くさいことになってきてますねー。
こうゆうの見てると、「嗚呼、もう、古き良き時代は終わったんだなあ」とか年寄りじみた感慨に耽ってしまいます。
や、「古き良き~」はひぐらしではなくて、同人界全般を指してるイメージでお願いします。なんといいますか、同人という世界に住まう人々の「(プロレス用語で言うところの)共犯意識」が作用しなくなってるといいますか、そんな。
で、話題変わって。
しかしまぁ何だ、キャラが出てきて喋ってるだけで大喜びするアニメってのも、結構珍しいですな。人数多すぎて上がってこないキャラとかいるから仕方が無いのだけれど。
美月さんの「ねぎま!」に関する一文。
わたくしはかの作品は触れていないので、あまり何かを言える立場ではないのですけれども、これはモーニング娘。と同じ構図だなあ、ハロプロファンとしては非常に判りやすいなあ、と思いました。
モーヲタは新曲が出るたびにソロパートがどのくらいあるかで一喜一憂し、少しでも活躍してもらうために声を大にして声援を送る(具体的にはグッズを買う)わけですけれども、それと同じことが「ねぎま!」で起こってるんですね。
そして、おそらくはあの作者のことだから、その辺は最初から狙ってこの大人数の企画を通したのだろうなあ。凄いなあ。
もいっこ。
輪王さんのところで紹介されていた「努力」の話題のリソースを読んで。直接関係無くて、どちらかというと連想した話題になるわけですけれども。
仮に才能に預かる部分があるとすればそれは、その事柄に「興味を持つ才能」と「努力(勉強)を苦と思わずに楽しめる才能」ってのは、間違いなくあると思うわけで御座います。
例えばわたくしは絵を描くわけですけれども、その為にパースについて勉強したり、画材の特性について勉強したりするわけですが、それが楽しくて仕方が無い。や、正確に言えば勉強自体は苦だったりしますが、その結果、「良い絵」が描けるようになるので最終的に「楽しい」という感じ。
楽しいから努力する。その楽しいという感じる部分がきっとその人の才能なんじゃないかなあ、と思うわけです。はい。
そして、リンク先にあるように「『自分には才能がない』とか言」って、自分は一切能動的に勉強せずに、先達から何の臆面も無く教えを請える人ってのも、それはそれで才能だよなあと、最近つくづく思うわたくし。
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