2005年02月04日
美食と悪食
上海さんのところで美食家と大食漢の話を読んで思い出したことがあります。
対象は何でも良いんですけれども、書きやすいので自分の趣味を例に出します。
わたくしにおきましては手前味噌ながらそれなりに、絵と文章に関しては「見る目が有る」方だと自負しております。ですからたとえそれが独りよがりな勘違いであるとしても、高尚な作品の良さを自分なりに受け止めておると考えております。
わかりやすい例を出すなら、ピカソの絵画を見て「凄い」と感じる人も居れば「ただのラクガキ同然」と感じる人もいる訳ですが、わたくしはこの分野においては前者であろうと。
と、同時に下のレベルの作品への許容値はやや低く、先の上海さんの例に倣うなら「食い物の質にはウルサイ」と言えようかと存じます。
ですが、逆に音楽の分野においては、ハロプロ。が好きなことからも判ると思いますが、割と「音楽好き」な方々から見れば悪食な方かと思います。ですけれども悪食なおかげで、高尚な作品の良さは判らなくとも大衆作品を愉しむ事が出来ておる。高級料亭に行ってもピンと来ないけど、大衆食堂で旨い旨いと食べることが出来るといった所でしょうか。
以前、ここでふと、疑問に思ったことがありました。
美食家は高尚な料理に出会えたときに、「百」の感動を味わえる。その感動を悪食者は「十」程度も受け止めることが出来ない。しかし、悪食者は大衆食堂で「十」の感動を味わう。しかし美食家は「一」がせいぜいだ。
確かに美食家は天井知らずの感動を味わう素養が有るかも知れないが、その機会は恐ろしく少ない。翻って悪食者は毎日のように微々たる感動を味わっている。
美食と悪食。はたしてどちらが幸せなのだろうか、・・・と。
理想としては、高級料亭の良さに十分に感動しながらも大衆料理で舌鼓を打つ事が出来る人になることなんですが、これがなかなか難しい訳で御座います。
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